渋谷アメデオ

SHIBUYA Amedeo

死なない暮らしがしたい

 最近は常に、これが今生の別れになるかもしれないと思っている。

 仮に誰かが死んだとしてさ、その人の関係性にもよるとは思うんだけど、元気な内にもっと会っておけばよかった、もっとできることがあったはずだ、と誰もが考えると思う。数年前にうちの爺さんが亡くなったんだけど、死ぬ一週間前に会ったときには僕のことなんかすっかり分からなくなっていて、寂しそうな顔で「誰だ……? 知らん……」とだけ言われて、それが僕たちの最期の会話になった。僕が地元に暮らしていて、毎週のように顔を合わせていれば、もしかしたら爺さんは最期の時まで僕のことを覚えていてくれたのかもしれない。でも、僕はそれをしなかった。しないことを選んだ。だから、なるべくしてなった結果なのだと受け止めている。

 他人と気安く会えなくなり、画面越しにみんなが生きていることを確認する日々。と言いつつも、仲間内の中ではもともと「年に 1 回でも顔を合わせればいいほうのレアキャラ」みたいな扱いだったので、この自粛生活が辛くて寂しくて堪らない! となることもなく、ヨガのスタジオがクローズしてしまって困ったな、と自室にヨガマットを敷くなどをして過ごしている。幸いにして、誰かにうつされることも、うつすこともなさそうな僕の生活(『うつす』の漢字が分からなかったんだけど『伝染す』ではなさそうってことだけは分かる)

 もし、僕の身体にこのタイミングで何かあったとしたら、きっと床に人型のどす黒いシミを作ることになるんだろうな。他人との繋がりが薄いことが功を奏すのか、それが最大の過ちになるのか、今の状況はどっちしてもあまりハッピーではないよなぁ。 

 2 ヶ月前から犬を飼い始めた。こんな状況でよくそんな余裕があるもんだな、とみんなに言われるけど、逆に家にいることの多いこの状況に子犬を迎え入れられたのは結果的にタイミングが良かったと感じている。迎え入れたときは全然そんなこと考えていなかったけどね。ただでさえ収入に不安が生じ始めているこの時期に、犬関連で支出がモリモリ増える。犬のために死ぬ可能性まで出てきた。でも、まあ、死なないよ、死んではいけない理由ができてしまったからね。今年で 35 歳、未だに生きなきゃいけない理由を作ることで精一杯だ。