渋谷アメデオ

SHIBUYA Amedeo

ナチュラルに腰に手を回せる暮らしがしたい

 友達に誘われてひょいひょい向かった家ではホームパーティーが開かれていた。僕も含め、総勢6人の小規模なホームパーティー。誰かが持ってきたワインに誰かが買ってきたローストビーフ、さらに用意されていたのは大胆かつ手際よく切られた野菜がたっぷりと詰め込まれた鍋。初めて会う人たちとあえて立ち入りすぎない適切な距離感を保った大人の会話をしながら缶ビールを2本ほど空け、ああ、みんな気配りができて良い人たちだな、と思い始めた頃、ふとトイレに立って戻ってきたら、ソファに座ると同時に隣に座っていた人からナチュラルに腰に手を回されていた。さも、それまでもそうしていたかのように、とてもスムーズな動きで、浅めにソファに腰かけた僕の後ろから、隣の人の手が回る。

 あれ、 なんだこれ。

 腰のあたりにそっと添えられる隣の人の手。よく見たら僕の太ももと隣の人の太もももぴったりとくっついていた。ああ、なんか左半身がちょっと温かくてしっとりしていると思ったよ、いや、しっとりしているのは僕の汗のせいか。途端に硬直する僕の身体。ダメだ、いま動いてはダメだ。ここで動いたら、その動きに意味が出てしまう! 身体を離せば身体に触れられるのを不快に感じていると思われてしまうし、汗を拭えば身体が火照っていると思われてしまう。火照ってるってなんだよ、これはアルコールと目の前でグツグツと煮えている鍋のせいだろ。少し身体をずらそうにも2シーターの一人暮らし用のソファでは肘掛けに挟まれて身動きが取れない。あの、僕たち、こんな距離感でしたっけ?

 少々近すぎることを伝えようと隣の人に顔を向ければ必然的に交わるのが視線。そうするのが当然とでも言うかのように、目が合えば自然と返されるのが微笑み。つられて微笑み返しても笑顔がぎこちなく気持ち悪いのが僕。いや、バカかよ、この状況でなにを微笑みあってんだ。もったりとした二重の瞼がもっととろけてしまうような、優しい笑顔でこちらを見つめられても僕に何ができると言うのか。

 鬼だ、人の心を惑わす鬼がいる! そもそも、人とコミュニケーションを取るのが苦手な人間の辞書に「さりげなく腰に手を回す」や「相手の目を見て優しく微笑み返す」と言った言葉が載っていると思うのか。大人として積み重ねるべき「お作法」を全く身につけてこなかった僕は、こういう時にどうしたらいいのかが全く分からず、ただただ動きを止めることしかできない。頼む、できればこのまま心臓も止まってくれ! 他人にはこれがカマトトぶっていると見えるらしいが、そんなことは知ったことではない。カマトトぶって見えるからなんだ、僕にとってこんな状況は生きるか死ぬかのギリギリの戦いだ!

 案の定、帰ってきてからずっと、ちょっとだけ意識してしまっている。

 腰に手を回すだけで距離が縮められる大人の「お作法」の力と、腰に手を回されただけですっかり距離を縮められてしまった僕のチョロさに驚きつつも、女子中学生も呆れ果てるような恋愛偏差値とこれからも共に生きていかなくちゃいけないのかと怯えながら、いつか絶対に大人になってやると心に決めた。見てろよ、坂井真紀ばりにぜったいキレイになってやるからな。

 あと、あらためて周囲の状況を確認すると、他のみんなも結構おかしかったことを補足しておこう。座る場所がなく、自然と数名はベッドに腰掛けることになるのが一人暮らしの部屋。アルコールが回って気が抜けてくればそのままゴロンと横になりたくなるのがベッド。酔った数人がベッドで腕や足を絡めながら横になってケラケラと笑っていたんだけど、さながら『 F.R.I.E.N.D.S 』のポスターのようだった。なんだそれ、こっちが笑ってしまうだろ、そんなもん。