渋谷アメデオ

SHIBUYA Amedeo

髪を切らなくてもいい暮らしがしたい

 その髪型をやめればモテるのに、と言われ続けた人生だった。
 髪を青くしたり、モヒカンにしたり、金髪でマッシュルームにしたり、大五郎カットにしたり、ブロンドで長髪にして通りすがる人に「あの人ゴールデンレトリバーみたい」と言われたり……到底サラリーマンとして許されざる髪型にしては家族・友人・同僚から窘められる日々。同窓会に参加すれば「あいつ定職についてないらしいぜ」と聞こえる声で噂される。ふとした瞬間に僕自身もなんでこんな髪型をしているんだろうと自問自動しつつも、それでも「普通」の髪型はできなかった。
 そもそも成人男性の「普通」の髪型ってなんなの。一時期インターネットでは所謂「ゆるふわ」の女子たちをネタにしていたけれど、大体ね、男だってそういうところあるからね! みんな揃ってツーブロックにしちゃってさ、ツーブロックにしておけばカッコイイと思ってるんでしょう。この前、友達と飲んでる時に隣のテーブルにいた若リーマン、全員ツーブロックで前髪上げてジェルでパッキパキにしてたからね。その状況に居心地の悪さはないわけ? すっげーなその精神力! つえーわ! まあ、僕もツーブロックにするけども(だけど刈り上げの位置が高すぎて現在は河童みたいな頭になっている、スマートな河童)

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外国人の髪質じゃないとツーブロックは難しい

 先日読んだ本の中に「人生を変えたければ髪をなんとかしろ」みたいなことが書かれていた。活発な髪型にすれば活発な人と知り合えて自分の人生も活発になるし、おしとやかな髪型にすればおとしやかな人たちと知り合えて自分の人生もおとしやかで素敵な人たちのそれに近づいていくよ、ということらしい。
 なるほどね、なんか分かった気がする。
 僕が普通の髪型をしないのは、普通になりたくないからではなく、普通になれないからだ。普通の成人男性と同じ事ができないから、普通の成人男性と同じ髪型ができない。だって、普通の髪型をしたら、普通の成人男性が集まってきてしまって、普通の成人男性と同じ事を求められてしまうかもしれない。そんなのは困る。

自由にタイに行ける暮らしがしたい

 今年もどこかのタイミングでタイに行きたい。

 タイ自体は既に一度、一昨年の年末に行っているんだけど、むしろ二度目、三度目からがさらに面白くなるんじゃないかって勝手に思っている。というか、先月に南国の島に行った時にそう思ったんだよね。アメリカ自治領のその島国に初めて訪れたのは同じく初挑戦のスキューバダイビングがきっかけで、その時にスキューバダイビングとともにどハマりし、一昨年の9 月、去年の 3 月、7 月、そして今年の 3 月と通い詰めている。その話を会社ですると「そこまで足繁く通っているってことはきっと素晴らしいリゾートなんだろう」と言われるんだけど、正直、海がドチャクソに綺麗、という点以外は何もないクソ田舎だからね。街(というよりも町)は数年前にやってきた超大型の台風の影響でボロボロで、資金力のないローカルはそのまま多くの建物を放棄したので倒壊した家屋が町のど真ん中でもちらほら。そこに乗っかってきたのが中華資本で、田舎の南の島に似つかわしくない絢爛豪華な大型カジノ(金で覆われた柱に、入り口にはポセイドンの石像!)やホテルをおっ立ってて、ビザの要らないアメリカ自治領そしてリゾートっつーことで道行く人は中国人や韓国人ばかり。観光業に特化した島国なので、ローカルで観光業に従事する人たちは母国語と英語はもちろん、中国語、韓国語、日本語、そしてロシア語まで使えるらしい。行くたびに町が中華資本に染められる島。その中にひっそりと残るローカルたちの店を捜し出して楽しむ島。

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 閑話休題

 だからタイにもう一回行きたいっていう話なんだよ。観光地らしいところは前回も行っているし、綺麗なものは見たし、美味しいものも食べたけど、なんて言うか、まだ「勝手が分かってきたからこそ楽しめるもの」に触れてないような気がするんだよね。そりゃ 1 回しか行っていないんだから勝手なんて分かるわけがないんだけどさ、「旅行中とりあえずあそこのお店にはまた行きたい」とか「あそこだけは何度行っても楽しい」みたいな場所があるだけでも海外旅行中の精神的なゆとりがかなり違う気がする。先述の南国の島の話をするなら、同行してくれた先輩に「今夜は何が食べたい?」て言われたときに、4 回目にして「あそこのローカルフードの店、美味しかったですよね、どうですか?」てサラッと言えたときに、「あ、なんか楽しいかも」て思えたんだもの。

 あとね、前回行ったときにやってないことがあるんだよ、タイで。

 マッサージ、それも性的なマッサージのお店に行ってない。

 いや、そんな理由でタイに行こうとしてんじゃねーよって怒られそうだけど、「そういうお店じゃなくてもチップ目当てでそういうサービスのアプローチをされることがある」とよく話題になる国で、毎日 1 回ずつ何かしらのマッサージやスパの店に行っていたのに全くそういうイベントに遭遇しなかった僕は、逆にタイで体験すべき大事な要素の一つを見事に回避してしまっていたのではないだろうか。日本に来たのに浅草寺の雷門を見ませんでした、みたいな。

 というわけだから、みんなでタイに行きましょう。現地集合、現地解散ね、日中は自由行動で、晩御飯だけ集合してみんなで食べるっていうルール。自由行動だから日中は何をしていても構わないけど、僕のことは放っておいてもらっていいかな、ちょっと行きたいところがあるので。いいね?

ナチュラルに腰に手を回せる暮らしがしたい

 友達に誘われてひょいひょい向かった家ではホームパーティーが開かれていた。僕も含め、総勢6人の小規模なホームパーティー。誰かが持ってきたワインに誰かが買ってきたローストビーフ、さらに用意されていたのは大胆かつ手際よく切られた野菜がたっぷりと詰め込まれた鍋。初めて会う人たちとあえて立ち入りすぎない適切な距離感を保った大人の会話をしながら缶ビールを2本ほど空け、ああ、みんな気配りができて良い人たちだな、と思い始めた頃、ふとトイレに立って戻ってきたら、ソファに座ると同時に隣に座っていた人からナチュラルに腰に手を回されていた。さも、それまでもそうしていたかのように、とてもスムーズな動きで、浅めにソファに腰かけた僕の後ろから、隣の人の手が回る。

 あれ、 なんだこれ。

 腰のあたりにそっと添えられる隣の人の手。よく見たら僕の太ももと隣の人の太もももぴったりとくっついていた。ああ、なんか左半身がちょっと温かくてしっとりしていると思ったよ、いや、しっとりしているのは僕の汗のせいか。途端に硬直する僕の身体。ダメだ、いま動いてはダメだ。ここで動いたら、その動きに意味が出てしまう! 身体を離せば身体に触れられるのを不快に感じていると思われてしまうし、汗を拭えば身体が火照っていると思われてしまう。火照ってるってなんだよ、これはアルコールと目の前でグツグツと煮えている鍋のせいだろ。少し身体をずらそうにも2シーターの一人暮らし用のソファでは肘掛けに挟まれて身動きが取れない。あの、僕たち、こんな距離感でしたっけ?

 少々近すぎることを伝えようと隣の人に顔を向ければ必然的に交わるのが視線。そうするのが当然とでも言うかのように、目が合えば自然と返されるのが微笑み。つられて微笑み返しても笑顔がぎこちなく気持ち悪いのが僕。いや、バカかよ、この状況でなにを微笑みあってんだ。もったりとした二重の瞼がもっととろけてしまうような、優しい笑顔でこちらを見つめられても僕に何ができると言うのか。

 鬼だ、人の心を惑わす鬼がいる! そもそも、人とコミュニケーションを取るのが苦手な人間の辞書に「さりげなく腰に手を回す」や「相手の目を見て優しく微笑み返す」と言った言葉が載っていると思うのか。大人として積み重ねるべき「お作法」を全く身につけてこなかった僕は、こういう時にどうしたらいいのかが全く分からず、ただただ動きを止めることしかできない。頼む、できればこのまま心臓も止まってくれ! 他人にはこれがカマトトぶっていると見えるらしいが、そんなことは知ったことではない。カマトトぶって見えるからなんだ、僕にとってこんな状況は生きるか死ぬかのギリギリの戦いだ!

 案の定、帰ってきてからずっと、ちょっとだけ意識してしまっている。

 腰に手を回すだけで距離が縮められる大人の「お作法」の力と、腰に手を回されただけですっかり距離を縮められてしまった僕のチョロさに驚きつつも、女子中学生も呆れ果てるような恋愛偏差値とこれからも共に生きていかなくちゃいけないのかと怯えながら、いつか絶対に大人になってやると心に決めた。見てろよ、坂井真紀ばりにぜったいキレイになってやるからな。

 あと、あらためて周囲の状況を確認すると、他のみんなも結構おかしかったことを補足しておこう。座る場所がなく、自然と数名はベッドに腰掛けることになるのが一人暮らしの部屋。アルコールが回って気が抜けてくればそのままゴロンと横になりたくなるのがベッド。酔った数人がベッドで腕や足を絡めながら横になってケラケラと笑っていたんだけど、さながら『 F.R.I.E.N.D.S 』のポスターのようだった。なんだそれ、こっちが笑ってしまうだろ、そんなもん。

何にも囚われずヨガができる暮らしがしたい

 多分なんだけど、ヨガは向いていないんだと思う。

 ヨガに初めての触れたのは、コンテンポラリーダンスのワークショップに通っていた時に、ストレッチの一つとして取り組まされたのがきっかけ。なんかさ、その時に「お前の身体はおかしい」って散々言われたんだよね。当時の僕は、 毎日のように 20kg 近いスーツケースと一緒に生活をしており、右手でケータイを持ちながら仕事の電話をしつつ、左手でスーツケースを引きずるような生活を続けていたら見事に左腕だけが発達。しかもそれがよくある筋肉ポーズでカッコ良く見える上腕二頭筋ならまだしも、他の人ならあまり発達しないような肘から先の筋肉でさ、両腕を床につくと右と左で肘の向きが一致しない。とてもアンバランス。肘の向きが違うと力の入り方が変わるし、四つん這いになっても肩の位置が揃わない。そうなるとヨガのポーズをやらされても安定しないのよ、全然。そもそも右向きでできたポーズが左向きだとできない、みたいなのがめっちゃある。あれ、これ、やばくね、つーか言われるまで右と左で身体の向きや筋肉の発達の仕方が違うとか気にしたことなかったけど、これ、酷くなったら肩こりとか頭痛とか腰痛とかになるやつじゃねーの、って。

 と思って通い始めたのがヨガのレッスン。本格的にレッスンの頻度を増やしたのは去年の頭からなんだけどね。チケット制なんだけど、さすがに 12 月は仕事や忘年会で全然行けなくて、年末に駆け込みでほぼ毎日のように通っていたら身体全然違うわ。できなさそうでできなさそうなポーズがちょっとできるようになったもん。

 つーか、男性でヨガやる人ってなんなの? マジで何が目的なの?

 これ、僕が言うことじゃ全然ないんだけど、男の人がスタジオにいるとめちゃくちゃ緊張するし、ちょっと冷静じゃなくなるんだよね。大体さ、痩せたかったら走ればいいし、鍛えたかったらジムに行けばいいじゃん、なんでヨガなのよ、なんぜわざわざ女性ばかりでなんとなく居心地の悪い空間に乗り込んでまでヨガなのよ。しかもさ、ヨガって別に全然イージーじゃねえのよ。レッスンの回数を増やしてからすげえ思うんだけど、本当にしっかりとやりたいと思うと、基本となる筋肉とか柔軟性がないとポーズなんて全然できねえの。そんなことを考えてしまうと全然集中できなくなるから、基本的には自分以外の男は誰も来るな! って願っているよ。

 だってさ、比べるじゃん、自分のほうが上手にポーズができるようになりたいって思っちゃうじゃん。ヨガの基本は瞑想であり、自分自身を見つめ直したり自分の変化に気付いたりすることが目的だから、そもそも他人と比べること自体が間違ってるんだけど、そんなの無理じゃん。自分より若かったり、自分より綺麗な身体をしてたり、そんな人が近くにいたら絶対に負けたくねえって思うに決まってんじゃん。だって、それが男だから、男の性分だから!

 人間が小さいので、自分だけが楽しめる空間であって欲しいと思ってしまう。

 そんな雑念ばかりの人間がヨガをやっていて本当にいいのかしら。

 2018 年はもう少しレッスンの回数を増やしていこう。

魅力的になったと言われる暮らしがしたい

 今日、ベルトをしてくるのを忘れました。

 だって、スラックスに脚を通した時点で、ベルトをせずとも全く違和感がないぐらいぴったりだったんだもの。スラックスのウエスト幅と僕のボディラインが奇跡の合致、ベルトなんて無くともずり落ちない! なんなら今日は締め付け感が少なくてちょっと快適だな動きやすいなとか思っていたぐらいだからね。トイレに行って気付いたよ、外すべきベルトがないことに。そして、スラックスを下ろそうとすると全てが滑り落ちるということに。

 14 歳ぐらいから体重に変化がないのがちょっとした自慢でした。今になって考えると、当時は同級生と比べてもぽっちゃりしていたほうだったんだろうね。その後、体重は据え置きのまま身長がすくすく伸び、外見を気にするお年頃になる頃にはむしろ少しスレンダーな青少年に成長していました。今なら分かるよ、特に努力することもなくスレンダーな人生を歩んでいたのが、きっといけなかったんだって。

 先日は、大事なプレゼンの途中で、スーツのボタンが飛びました。

 今日は服装から気合いを入れよう! と大事な時のための高くて仕立ての良いスーツを引っ張り出したら、常にあるべき形のままで勝負の日を待ってくれていたスーツとは違って僕の身体は着実に大きくなっていたようで、朝の時点でなんだか様子がおかしいぞと感じていたのはただの予感ではなく、取引先の面々が見守る前でスーツのボタンは勢いよく僕の身体から解き放たれ、フリーズする僕、逆に慌ててフォローしてくれる取引先、一瞬で遠くまで転がりゆくボタン、その日、僕の体重は今まで一度も見たこともない数字を叩き出し、本気で体重を落とすことを決意したのでした。

 アラサーも終わりが見え始め、外見的にも大人にならなければと考えている今日この頃。もっとこう、大人としての、懐の大きさっつーのかね、飛び込んだらがっつり受け止めてもらえるような大きな胸板? 後ろから追いかけたくなるような広い背中? 的なものを目指してあれやこれややっているわけですが、ご多分に漏れず、年齢に比例して着実に、ただ着実に、不要なものばかりを身につけていく大人になりつつあります。

 ある人も、このように言っていましたよね。

 「太ったんじゃなく、女性としてね、魅力的になったと言ってよ」と。

 そう、僕の身体に起こる変化は、大人として魅力的になるために必要なものばかりなんだ! と無駄に自分を肯定していくと本当に危険なので、アイドルが歌う歌詞とアラサーの情けない身体を結びつけて納得しなくても生きていけるような人間になりたいと思います。だって生きていかなくっちゃ。

郵便受けを毎日チェックできる暮らしがしたい

 郵便受けを見るのが苦手。

 意味が分からないでしょう。自分でも意味が分からないんだよ。でも、郵便受けを見るのが苦手なのは事実なわけで。苦手っつーか嫌いなんだと思う。だってさ、望んでないじゃない、投函されるの、誰も。こっちは何も待ってないのに次々にあれやこれやと投げ入れてきてさ、その内のほとんどがゴミみたいなもんっつーか実際ただのゴミなのに、受け取ったこっちがそれを処理しなさいとか納得できなくない? さらに言うと、その大量のゴミの中に生活や仕事に必要な諸々の書類を混ぜ込んでくるのも全然納得がいかない。罠じゃん。そんなの罠じゃん。大事な物とゴミを一緒に送りつけてくるってなんなの。そんな人が周りにいたらドン引きってレベルの話じゃないよ、付き合い方を考えるよ。

 郵便受けを見るのが苦手ってことは、もちろん郵便を受け取るのも苦手なわけで。

 先日は、それが原因で実の父親にクソ怒られた。「郵便受けを見るだけだぞ、人として当然のことが何故できないんだ!」って。知らねえ、分からねえ、むしろ僕自身もできない理由が分からねえ! 返信が必要な書類に気づいていなくて、さらには催促の通知すらも完全にスルーしていて、その上で父親から連絡が来て初めてその存在を知ったの。いや、そりゃ怒られて当然だなって自分でも思うんだけどね。ゴミだな。ゴミを見るのが嫌でゴミから目を背けてゴミに埋もれさせた大事な書類に気づけないとか、僕自身がゴミだな。父親には「お前は本当にそれで働けているのか……」とぽつりと漏らされたけど、目に見える範囲で自分以外の誰かに迷惑がかかると思うとちゃんとできるのよ、これでも。到底信じられないって顔で父親はこちらを見ていたけど、ですよね、何よりも自分が一番、自分のことを信じられないですよ。

 興味がないことへの関心が低すぎる、という自覚はありました。

 そしたら、友人には「お前は興味があることにも関心が低い」と言われました。

 アラサーから脱却する日ももうそろそろという年齢にさしかかり、今なお生きることって大変だなって感じています。みんな元気? 中学生もかくやという開き直りをぶちかましている場合じゃないよ、ちゃんと自分の足で立って生きようね。毎日コツコツと物事を処理できる暮らしをしようね。